ユークリッドというのは紀元前300年くらいの数学者で,彼は(おそらく人類史上初めて)幾何学の論理的体系を正確にまとめて,『ストケイア』(日本語では『ユークリッド原論』とも呼ばれていて,日本語訳も出ています)という本に仕上げました.
彼は平面幾何学を次の5つの「公準」(真理として容認するもので,証明は必要としない事柄)のもとに展開しました.
(i) 任意の点から任意の点へ直線を引くことができる.
(ii) 線分を直線に延長することができる.
(iii) 任意の点を中心として任意の半径で円を描くことができる.
(iv) すべての直角は等しい.
(v) 1つの直線が2直線と交わり,同じ側につくる内角の和が2直角より小さいならば,これらの2直線を延長すれば,2直角より小さい角のある側で交わる.
これを見てもわかると思いますが,(i)〜(iv)の公準はいずれも簡単で自明の理と言っても誰も反論しないと思います.しかしそれらと比べて(v)の公準(第5公準と呼ばれています)は内容も表現もはるかに複雑でわかりにくいものになっています.そのため,ユークリッドは諸定理の証明にできうる限り第5公準を用いないようにしていたようです.後世の人々も第5公準を
批判の対象となし,それを簡略化しようとしたり,あるいはそれを証明しようとする試みが執拗になされましたが,すべて失敗に終わりました.ただし,これらの研究を通して,はじめの4つの公準のもとに,第5公準は次の「平行線の公理」と同値であることが認識されました.
【平行線の公理】(ある)直線とその上にない(ある)点が与えられたとき,その点を通りその直線に平行な直線は高々一つである.
(上の公理で括弧で括った言葉は,あってもなくても同値であることが知られています.)
第5公準を否定して矛盾を導くという研究は容易に実を結ばないため,19世紀になると第5公準を否定しても矛盾のない論理体系としての幾何 学が構成できるのではないかと考えられるようになりました.そしてついに1830年頃にロバチェフスキーとヤノス・ボーヤイによって独立にそのような幾何 学についての研究成果が発表されました.この幾何学はユークリッドのはじめの4つの公準はそのままとして,第5公準の代わりにその否定
(v)' 直線とその上にない点に対し,その点を通りその直線に平行な直線が2つ以上存在する
を公準として採用するというものでした.これはガウスにより非ユークリッド幾何学と名づけられました.
しかしながら,ロバチェフスキーやボーヤイは非ユークリッド幾何学の体系に矛盾のないことを証明したとはいえません.この問題を解決したの は19世紀の後半で,ケーリーやクラインによって,非ユークリッド幾何学のモデルをユークリッド幾何学の中につくる,という方法でなされたのです.
クライン以来,ロバチェフスキーやボーヤイの非ユークリッド幾何学は双曲幾何学とも呼ばれています.