以下は以前、多様体論の講義を行った際に学生に配布したプリントからの転載です。
プリントの主目的は、講義の補足 や演習問題等でしたが、余った余白を埋めるために
Coffee Break と称して、自分のつたない文章を書いたものです。
リバプールの話
Liverpool Story
(1)
以前イギリスのリバプール大学に長期滞在したことがありました。イギリスに行くのは初めてではなかったので、たかをくくっていたのですが、実際に住んでみると、いろいろと驚くことの多い毎日でした。
まず、英語がわからないのです。どうせ日本人はたいていの人は英語が苦手だから、そんなのは当たり前でしょう、などと皆さんは思われるかも知れませんが、そういうわけでもないのです。実際私はロンドンに何度か行きましたが、そこでは実に英語が良くわかるのです。これはいったいどういうことだ、とイギリスのいろんな人に聞いてみると、そりゃそうだ、リバプールの英語なんて、なまりがひどくて、我々にだってわからないさ、気にするな、と言われました。ビートルズ発祥の地は、実はアイルランドやスコットランドからうつって来た人達が多く、そういった土地の言葉とごっちゃになって、イギリスで一番なまりのひどい地方になっていたのです。まあ、良く考えてみれば、日本にだってなまりがひどくて何を言っているのかわからないような地方もありますよね。しかし、リバプールの人達は、今はリバプールの人気が上がっていて、リバプールなまりで売っているタレントまでいるんだよ、などと言っていました。
とにかく、そんなわけで英語には自信をかなりなくしました。リバプール大学の数学の先生ともいろいろと話しをしよう、などと思っていたのですが、結局英語がわからなくて、それほどお話ができませんでした。ちょっと後悔していますが。
(2)
先週の続き、イギリスの話です。
イギリスでは、はっきり言って食事がおいしくありませんでした。どうもおいしい食事を作ろう、という努力をしないらしいのです。良く考えてみると、日本にだってフランス料理とか、イタリア料理の店はあるけれど、イギリス料理のレストランなんて見たことがありませんね。実際、イギリスの普通のレストランではまともなものが食べられませんでした。一番のごちそうが「Fish & Chips」といって、魚フライにフライドポテトをそえたものでした。大学では昼飯を食べるのにかなり苦労しました。とにかく、生協のような食堂がないのです。では皆どうするかというと、その辺のコンビニのような店でサンドイッチを買って、歩きながら食べているのです。サンドイッチなら、まあ歩きながら食べたっていいんですが、中には中華料理とかカレー等を歩きながら食べている人もいます。イギリスにはファストフードの店がたくさんあるのですが、そこでは「お持ち帰り」を良くやっていて、イギリス人はどうもこれを買って、歩きながら食べるらしいのです。私にはどうもこれが理解できませんでした。日本だと、忙しい人が駅などで立ち食いうどんを食べている光景なんかは普通ですが、イギリス人は特に忙しくない人も、こうしてファストフードでの食事で済ませてしまうのです。
こんなこともありました。スーパーで妻と買い物をしていると、どうも見たことのない野菜がおいてありました。どうやって料理したものか妻は知らなかったので、たまたまそこにいた地元のおばさんに聞いてみました。
「あら、そんなの簡単よ。お湯を沸かして、それが大体ゆだったら塩でもふりかけて食べたらいいの。塩がやっぱり一番よね。」
まあ、イギリス人の味覚感覚がこれでわかったような気がしました。
クリスマスはイギリスでは日本の正月と同じようなものですが、そのときリバプール大学の先生が自宅に招待してくれました。すると、オーブンで焼いた七面鳥が出てきました。見てみると、なかなかおいしそうです。よし、今度は間違いなくおいしいものが食べられそうだ、と期待しながらナイフとフォークでそれを自分の取り皿に取って、食べ始めました。ところが、やはりこれがおいしくないのです。一方まわりに集まってきているイギリス人は皆、おいしい、おいしいと口をそろえて言いながら食べています。デザートにはこれまたおいしそうなプディングが出てきましたが、やはり全部食べるのは大変でした。
そう言えば、サンドイッチというのはイギリスで発明されたのだと聞いたことがあります。サンドイッチさんとかいう人が、毎日ポーカーか何かに明け暮れていて、食事をする暇もないので「サンドイッチ」を考え付いたとのことでした。イギリスだからこんなことを考え付いたのだと今では納得しています。(続く)
(3)
前回の続き、イギリスの話です。イギリスに着いたのは4月の初めだったのですが、着いた直後に、
「あと2、3日前に来ていたらよかったのに。もう、真夏のように暑かったんだから。」
と言われました。何を大げさなことを言っているんだ、4月の初めに真夏なんてあるものか、とそのときは別に気にも留めなかったのですが、その理由が夏になるとわかりました。
とにかく、日本人の感覚で行くと、決っして暑くなんてならないのです。真夏でも最高気温は25度くらいです。なんだか、夏らしくなくてつまらないなあ、などと思っていた私でしたが、イギリス人はと言うと、「ああ、今日は暑い。まいったわねえ、こんなに暑くって」なんて言っているのです。そう、彼らにとっては25度なんて真夏の猛暑だったのです。4月の頭に20度くらいになれば、それは真夏のように暑いと感じるわけですね。納得してしまいました。
イギリス人は天気の話をするのが好きです。晴れた日に外に出ると、「今日は良い天気ねえ。すばらしい日ね。」などと声を掛けられます。私は例によって「何を馬鹿なことを言ってるんだ。晴れた日なんていつだってこんなもんじゃないか。」などと思っていました。ところが、イギリスに永く暮らすにつれ、何か変だと気が付いてきました。そうです、晴れの日が少ないのです。イギリスでは、大抵の日はどんより曇っているか、小雨がぱらついています。おまけにリバプールは海に面しているため、大風が吹く日が多く、まるで雨無し台風の中を歩いているような日もたくさんありました。その上、冬は太陽が出ている時間が短く(イギリスはかなり北にあるのです。北海道より実は北です)、冬はほとんど太陽を見ることができませんでした。というわけで、日本の天気がいかに恵まれているかを知らされた私でした。
(4)
前回の続き、イギリスの話です。
イギリスで良かったのは、何と言ってもアパートなどの住環境でした。アパートと言っても、住んでいたのは、築100年くらいの3階建ての大屋敷で、それを6つくらいに区切って、アパートとして貸しているものを借りたのです。とにかく部屋が広いし、部屋数も多い。冬はセントラルヒーティングというやつで暖かい。とにかく快適でした。家賃もそれほど高くはなかったと思います。そこはWest Kirbyという小さな街で、これがなかなか小奇麗な街で大好きでした。家の近くには公園はあるし、だいたいイギリス人の家の庭は道に面していて、そこに奇麗な花をたくさん植えて、道行く人々の目を楽しませてくれるようにできているので、街が自然に奇麗になっているのです。休みの日には妻といっしょによく街の中を散歩したものでした。ただ、その街はもう退職した老人の多い街で、レストランなんかに入ると、我々以外はすべて老人、なんてことも珍しくありませんでした。
とにかく、のどかなイギリス、という感じでした。
(5)
前回の続き、イギリスの話です。
いままで悪口ばかり書いてしまったような気もしますが、イギリスに行ってとてもうれしかったのは、人々がとても親切にしてくれたことでした。特にアパートの管理人さんはとても親切で、何か問題があればすぐに対処してくれましたし、いつも我々のことに気を使ってくれました。また、妻と一緒に旅行などに出ると、道がわからなくなったり、駅の中で迷ったりしましたが、その辺の道行く人がすぐ助けてくれたりしました。なんだか、日本なんかより、ずっとのんびりとしていて、人間的なあたたかみを感じることが多かったように思います。
一つ面白いなと思ったことがありました。それは確か11月11日だったような記憶があるのですが(間違っていたら御免なさい)、第1次世界大戦の戦没者慰霊祭のようなものがあったのです。日本だと、なんだか政治・宗教問題とからんだりなんかもしますし、何かすごく格式張った儀式のように感じますが、イギリスではまったく感じが異なりました。それは、どういうことかというと、まずその慰霊祭は、すべての町(小さなものも含めて)で行われます。そして、町の人が、皆で(まるで盆踊り大会にでも行くように)一緒に参加していたのです。若い人もかなりいたと思います。そして、戦争を2度と起こさないように祈ったり、戦没者の霊を(キリスト教的に)慰めたりしていました。日本でも、そういった庶民的な感覚で、終戦記念日なんか迎えられたらいいのにと思った私でした。
ダイアナ妃が事故で亡くなったとき、私はイギリスにいました。あのときの、国民の悲しみようは凄かったです。ほとんどの庶民の人達がダイアナ妃のことを大好きだったのです。床屋に行ったら、そこのおばさんが言っていました。「王室はだいたいいままでずっと閉鎖的だったのよ。そこに彼女が入って、ずっと開放的になったの。本当に彼女が亡くなってしまって残念だわ。」別に王室を否定しているわけではありません。王室が好きだからこそ、開放的であって欲しい、と思っているようでした。
はっきり言って、イギリスは「古くさい」国です。でも、その古くささが、中途半端なものではなくて、本当に国民の中に文化として根づいているようなのです。イギリス滞在はたったの10ヶ月だけでしたが、その古くささを強く感じました。いい意味でも悪い意味でも。それにひきかえ、今の日本は...と言っても仕方ありませんが、日本古来の文化はいったいどこに行ってしまったのでしょうか?日本に来た外国の人達に聞いてみると、皆一様に「今の日本の状況は残念だ。もったいない。」と言います。昔からある日本の良いところが、どんどんなくなっている、と感じるのだそうです。皆さんはどう思われるでしょうか?
数回続けたイギリスシリーズはとりあえずこれで終わります(ただし、特に書くことがなくなったら、また性懲りもなく書いてしまうかも知れませんが)。つたない文章を読んでいただき、どうもありがとうございました。
(6)
クリスマスが近づいてきました。クリスマスで思い出すのが、イギリスでのクリスマス・シーズンです。だいたい11月頃から、ちまたではクリスマスの雰囲気がただよってきます。街は様々なイルミネーションで飾られ、ショッピング街も夜遅くまで店がやっていて、皆クリスマスのショッピングに出かけます。夜、住宅街などを歩きますと、窓からクリスマスツリーがピカピカ光っているのが見えたりして、「ああ、やっぱりクリスマスだ」などと、あまりクリスマスが何だかわかっていない私でさえ感心してしまうような感じでした。おそらく日本人の感覚で言うと、「お正月」を迎える感じに近いのかも知れません。年賀状の代わりにクリスマスカードを皆出しますし、門松の代わりにクリスマスツリー、おせち料理の代わりに七面鳥、等と何となく対応関係があったりもします(もちろん1対1対応ではありませんが)。
イギリスに行ってわかったことは、クリスマスが当地の人にとって絶対必要なものだ、ということでした。なぜかと言いますと、とにかく「くらあい冬」だからです。日本では、太平洋側ではからっと晴れた冬が普通ですし、日本海側だと厳しい冬ではあるものの雪が一面をおおい尽くす分だけ、ある意味で明るく感じさせる面もあります。しかし、イギリスの冬は本当に暗いのです。まず、日照時間がほとんどありません。緯度が樺太の真ん中あたりと同じなので、朝は9時過ぎに日が出て、午後4時には沈みます(実は、イギリスでは冬時間というのを確か採用していて、冬になると時間を1時間ずらします。暗いうちに子供たちが学校に行くのは危ない、という理由からだそうです)。しかも、太陽は上に登らず、地をはうようにして、横に移動するだけです。まあ、そのくらいはまだ許せる範囲なのですが、それ以上にきついのが、毎日どんよりと曇っていることです。これには参りました。とにかくお日様にお目にかかれない日がほとんどなのです。東京育ちの私には信じられない冬でした。とうとう私は、何とうつ病状態に近い状態にまでなってしまいました。日にあたる、ということがどんなに大切なことかを思い知らされたのでした。まあそんなわけで、クリスマスがないと本当に暗い気分になってしまうわけです。クリスマスというのはやっぱりそれなりに意味のあることなのだ、と一人合点した私でした。